映画で学ぼう~運命の作品に出会おう~No.5「マンデラ 自由への長い道」
目次
「マンデラ 自由への長い道」
公開日:2014年5月24日
1.キャスト
2.映画のあらすじ
南アフリカ共和国代8第大統領,ネルソンマンデラが歩んだ人生を描いている.暴力的なシーンがあるので苦手な方はご注意ください.
予告↓↓
映画から学べること
①ANC(アフリカ民族会議)とは
African National Congress の略で,1912年に設立された南アフリカ共和国でアパルトヘイトの撤廃を求めて組織された.
※アパルトヘイト(Apartheid)
南アフリカ共和国がかつて行っていた人種差別政策である.アパルトヘイトは,アフリカーンス語で「分離」を意味する言葉.1928年,ダニエル・フランソワ・マラン率いる国民党が選挙に勝利し,アパルトヘイトが法制として確立された.そして1994年4月にネルソンマンデラが大統領となるまで差別は続いた.それまでの反対運動により多くの死者を出してしまう.
②ネルソンマンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela)
1918年7月18日にトランスカイで誕生した.1940年代前半にアフリカ民族会議(ANC)に加入し,当時政権を握っていた国民党のアパルトヘイト(人種隔離政策)への抵抗運動に取り組む.1948年にダニエル・マラン率いる国民党が選挙に勝利し政権を握ると,新政権は急速にアパルトヘイト体制を構築していき,黒人への制限をさらにするようになる.そのため,ANC内でも政府への競合な対決姿勢を求める声が高まっていった.1950年,ANC青年同盟議長に就任.1952年8月にはヨハネスブルクで友人と共に,国内で黒人初の弁護士事務所を開業する.また,12月にはANC副議長に就任.1961年に軍事組織を作りその活動により,1962年8月に逮捕される.その後,裁判で1964年に国家反逆罪で終身刑となり,ロベン島に送られる.刑務所を転々としながら1990年2月11日まで27年間の投獄生活を送る.その間に,マンデラは解放運動の象徴的な存在とみなされるようになる.1993年12月デクラークと共に,ノーベル平和賞を受賞する.1994年4月27日に南アフリカ史上初の全人種参加選挙が実施され,マンデラは大統領に就任する.2013年6月23日,ヨハネスブルクの自宅で気道感染により95歳で死去した.
ネルソンマンデラの誕生日である7月18日は国連により「ネルソン・マンデラ国際デー」と定めた.彼の生涯における偉業をたたえ,「67」分間誰かのために行動を起こそうと呼びかけた.なぜ,67分かというとマンデラは95年の生涯のうち67年間も南アフリカの自由と平和のために人種と社会的正義を求める闘争に捧げたからである.
③日本でも起こっている人種差別
→北海道は日本の領土ではなく,アイヌ民族が住んでいたが15世紀以降に和人に侵略され一方的な同化政策が行われてきた.今なお,差別は解消していない.
・HIV感染者などに対して
→HIVは日常的に感染する可能性はほとんどないにもかかわらず,職場や社会では差別や偏見の対象となっている.
→グローバル化が進み,日本でも生活する人が増えてきた.特定の民族や国籍の人,宗教や言語による差別が外国人を傷つけている.
おわりに
私もできれば,ハリウッドスターのように鼻が高くて目が青くて足が長くなりたかった...と思います.日本人等のアジア人が海外旅行をする際にも「目が細い」と差別の対象になるんだそう..
そんなことはさておき,人種差別をなくすために一生をかけて戦っているネルソンマンデラの勇敢さに感銘を受けました.ただ,今現在でも様々な人種差別が存在していることに悲しく思います.
参考文献↓↓
・http://south-africa.jp/meetsouthafrica_lists/3249/
・https://gooddo.jp/magazine/sdgs_2030/reduced_inqualities_sdgs/9053/
最後までお読みいただきありがとうございました💐